本日はかつて塾講師をしていた経験を踏まえ、「幼児教室の理想の先生」について考えたいと思います。
というのも、本日2019年3月20日、下記のようなニュースをヤフーニュースで目にしました。
アクセスランキングはヤフー内で日中1位で注目度の高い記事です。
「トイレ個室で隣から『濡れた紙』が…投げ込んだ8歳男児引っ張り出し平手打ちか 43歳男逮捕 」
内容は取るに足らない内容で、ショッピングセンターのトイレ個室で、お隣から子供にいたずらされて、中に入っていた中年男性が激怒して平手打ちした。というもの。
最近はヤフーのコメントで世の意見の趨勢がわかりますが、全体的に「平手打ちはいけないが、子供は怒られて当然。」という趣旨の内容が多いように感じました。
私が子供の頃(1980年代の小学生)は良くも悪くも、他人の大人にもよく怒られました。ドラえもんに出てくる盆栽を大事にしているおじさんみたいな人がいて、うるさかったりすると怒られましたね。手を上げるのはいけませんが、私の場合に限れば、今は亡き父親によくげんこつされ、年を取るごとにげんこつのレベルも比例していきました。
私自身が親になって感じることは、①他人の子どもを怒ることはしないほうが無難(どうしようもない子は放置、距離を置く)という空気と、②これに逆行する世の流れとして叱ることも必要という空気です。①は結構前から定着していて、②は最近多数派になってきたと感じています。
ちょうど私が塾講師をしていた学生の頃、モンスターペアレントという言葉が既に使われていたかどうかまで覚えていませんが、よく学校崩壊が話題になっていました。学校の先生が立場が弱くて怒れないと。
この点、バイトの塾講師であった私は、ある意味ずるいのですが「立場」に弱みがないので、ズバズバ叱るほうでした。問題児といわれる子もいましたが、私が住んでいた地域に比べれば都心の裕福なお子様は根は良い子が多く、指導は楽でした。
取った対応は、ふざけて授業を受けない子がいたら、その子のやりたいことを一緒に探すことです。今となれば、非認知能力の教育と似ていますね。
塾はそれなりのお金がかかるので、勉強しないのであれば非常にもったいないです。親が稼いだお金で塾に通っていますからね。中学生や高校生であれば、今を無為に過ごすことでほんの数年後にどのような生活が待っているか想像すべきです。やりたいことがあるのであれば、塾などに通わずそれに邁進すべきだと、授業中に話します。
少し前まで働いていた経験も踏まえて説明をすると、たいてい勉強するようになり、辞めたお子様はいませんでしたけどね。結局は、ダラダラしている深い理由はなかったということです。
関西弁のこのスタンスは当時、幸い塾からも保護者からも受け入れられました。
先生のヘルプで授業した際も、ズバズバ言いましたので、問題児クラスがいるクラスに招聘されることもしばしばでした。このように2000年前後も叱ってくれる人に対して一定のニーズはあったと思われますが、確かに少数派でした。
そして更に時が経ち、今色々な幼児教室を回ると、私の私見では下記のように感じます。
・基本的に叱らない幼児教室・・70%
・昔ながらの厳しい幼児教室・・・5%
・混在する幼児教室・・・25%
30年程の時を経て、他人の子供に厳しく接する大人は、大きく減少してしまったと感じます。今回私は叱らない幼児教室を否定する趣旨ではないのですが、一定のニーズがあるにもかかわらず、世間の期待とギャップが生じているのでは、と感じる次第です。
手を上げるのは言語道断ですが、悪いことをした子はしっかり指導されるべきというニーズや意見があるから、今回のニュースが注目されたと感じています。幼児教室においても同じことがある程度は言えると思われます。
少しストレスに感じることがあるかもしれませんが、きっちり愛情をもって叱ってくれる先生が身近にいたら、大切にすべきかもしれません。
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