小学校受験の弊害・矛盾:重視されない英語・プログラミングなど独自性

皆さまこんばんは、WASABIです。

今日は小学校受験に関する日記です。

お盆最終日、たまたまヒルナンデスで天才少年紹介のコーナーを見ました。

10歳で民謡日本一、
9歳でプログラミング全国大会ファイナリスト、
8歳でスポーツスタッキング日本一(6歳から?)と、天才キッズと称してお子様が紹介されていました。

まだ小学校のお子様がテレビに出て、緊張もせず堂々としていました。
大舞台に慣れているからですね。

それぞれの経歴は実に素晴らしいもので、何事にも変えがたい価値があります。
この点、それぞれの生い立ちで共通するのは、小学校からでなく、幼児期から取り組んでいたことです。

これからのご時世、学習指導要領も変わり、求められる能力も変わっていきます。今後、なんでもそつなくこなす子供より、何か得意なことを伸ばすことを認める世の中になるはず、ですが気になる点が一つあります。私立小学校の受験準備、受験科目です。

私立・国立小学校の受験科目は今も図形・数・記憶・指示行動・お行儀が主で、我々がポケベルを使っていたころと本質は変わりません。時代は大きく変わっているのですが、この点の多様性を認める試験はありません。

絵は受験で評価するのに、音楽は受験で評価されず、偏りもあります。
しかも、絵は芸術性を求めるものではなく、受験テクニックで定型化されています。

つまり、子供のころから歌、英語、プログラミング、囲碁、何をするにしても難関私立小学校のお受験を考えると、そのような時間はありません。

今月以降、多くの説明会があり、私立を2,3併願する方は、家族で奔走することとなり、上記の機会は基本的に放棄するか、学習時間を大きく削られます。説明会に複数回通うことを誠意として、子供も同席して時間をつぶしています。

加えて幼児教室です。どの受験生も多額の授業料を幼児教室に支払いますが、この時間の多くは、長い人生において子供のポテンシャルを活かせるか判別がつかないものに費やされます(お行儀、指示行動など)。
色々やろうと欲張ると、何事も中途半端になります。

やや皮肉めいた論調となってしまってますね。
これらが嫌なら受験しなければよい、と言われそうですが、私立小学校は、多額の費用と引き換えに、非常に魅力的なカリキュラムを提供してくれる場と思います。でも、入るためには、多様な経験や努力の機会を放棄して、なんでもそつなくこなす子を目指さなければならない。これは大きな機会損失です。

当然、私立小学校もそれなりの考えがあってこのような試験制度を維持しているわけですが、大学受験や求められる人材など環境が変わっていく中で、一工夫する学校があってもよいかなと考えます。

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